Monday, February 27, 2017

『ラ・ラ・ランド』〜夢追い人への華麗なる賛歌〜

 嫉妬は僕の心の根本問題であると思うのだが、よくよく考えてみると、自分は架空の「全能の他者」、「あらゆるものを所有する他者」に嫉妬しているように思えてならない。何ものかを得ている人は、他の何かを犠牲にすることで、それを得ているのかもしれない。
ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』がとても話題になっているので、映画館に吸い寄せられるように足を運んだ。上の引用は、先日何気なくツイッターに書いたことであるが、この『ラ・ラ・ランド』に、偶然にも同じようなことを感じた。

出典 http://gaga.ne.jp/lalaland/

 夢をつかむこととは、今まで追い求めていたものをつかみとることであると思われていることだろう。それは、運命において、おのれに与えられた恵みのようである。しかし、本当にそうだろうか。この作品では、夢をつかむことの悲哀すらもえがかれていた。そして、夢をつかんだことによる喪失にも光が当てられていた。その点が、作品に深みを与えていたと思う。
 夢をつかむこととは、同時に、他の何かを失うことでもあるのではないか。だから、夢をつかむことは、希望であり、喜びである一方で、悲惨でもある。では、人間は夢を追うことに喜びを見出せないのか。それは違う、ということを『ラ・ラ・ランド』は歌い上げる。夢を追いかける人生は、それによって失うものに対する未練や後悔に必ず直面する。そこに悲哀がある。しかし、それでも、歌や音楽があれば……!というひとすじの希望を感じた。

 この作品は決して、夢を追いかけることに対抗する現実をえがいているわけではないと思う。あくまで、現実を前にしてもそれを追いかけることであり、夢追い人への華麗なる賛歌である。『ラ・ラ・ランド』はつかのまの夢を見せてくれた。それは幻なのかもしれない。ただ、幻も見つづければ現実を乗り越える夢となるだろう。


(エマ・ストーンはなんと可愛くて素敵だったことだろう)