これほどまでに、人間の内なる得体の知れないものに対して恐怖をいだいたことはない。そして、それが怖るべきものであるのは、その恐怖が人間自身、つまり私自身に対する恐怖でもあるからだ。この映画をみるものは、自分自身の内面を凝視しなければならない。そしてことごとく傷めつけられる。
そんなことが私たちにとって必要なのだろうか?「いや、私たちは正常だ。私たちは問題ない。私たちは……」
。そう言い続けなければならない。まるで弁解のように。
このような作品は、おもしろいなどという形容詞がまったくあてにならない類いのものだ。「見てしまったが最期」である。「甘美な傷」とでもいうべきか。