Tuesday, February 21, 2017

アメリカンコーヒーの注文に際して

 すべてのことがらにおいて、必ずしも「正しさ」があらかじめ存在しているわけではない。喫茶店のメニューに「アメリカンコーヒー」とある。それを「アメリカンコーヒー」と注文しなければならない道理はない。「アメリカン」と注文してもよい。メニューを指さして「これ」と言ってもよい。このような当然のこと(考えるほど当然かどうかはあやしくなってくるのだが)、つまり、「たったひとつの正しい注文方法がないこと」を認識すること。それは、言葉の曖昧さ、多様さを実感することである。


 アメリカンコーヒーそのものを、文字通り「アメリカンコーヒー」という言葉で分断しようとすれば、アメリカンコーヒーを取り巻く言葉の香りは失われてしまうだろう。それこそが、私たちにさまざまなイメージを想起させる。すなわち、アメリカンコーヒーはポエジーにひらかれているのだ。もしかしたら、「手術台の上でのミシンと雨傘の偶発的な出会い」(ロートレアモン)のように、あらゆるものとアメリカンコーヒーとの偶発的な出会いが約束されているかもしれない。
 だから、アメリカンコーヒーを「アメリカンコーヒー」と注文することは正しくない。アメリカンコーヒーを「チーズケーキ」と言って注文できるようになる日も、そう遠くはないだろう。