Tuesday, May 31, 2016

惹かれるということ

 文章を書くということは本当に愉しい。最近になってそのことに気づいた。僕にとって言葉は戯れのようなものであると思う。構成的な文章は僕にはまだ書けない。いわゆる美文というものはなおさら。できることは、装うことだけである。この文章を書いている今でさえも、何かを装っているのは言うまでもない。
 そういえば昨日、僕が常日頃感じていた負の感情が不思議と消えた。僕はいつも食事のときに漠然とした罪悪感を感じていた。食事がもはや楽しいことではなくなっていた。僕はずっと、この罪悪感が生じる原因は何だろうかと考え続けていた。しかし今思えば、それは間違ったことだったのかもしれない。なぜなら罪悪感を感じる道理など無かったのだから。
 僕はその日、「キャロル」を観に映画館に来ていた。上映まで少しだけ時間があったので、カフェテラスで軽食をとった。

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 なぜかその日は、映画館に吸い寄せられるようにしてそこに訪れた。なぜ「キャロル」を選んだのかもわからない。そういえば、

 何故惹かれるか惹かれないか理由は分からない。分かるのは惹かれるか惹かれないかだ。

 というセリフがあった。そう、ただ惹かれているだけだった。惹かれる理由が無いのなら、罪悪を感じる理由も無いのかもしれない。僕はとても落ち着いていたが、心中は完全に戯れのレベルにいた。出されたケーキを口に含む。何も感じない。むしろ愉しめている。上映開始の時間がせまっていたから、アイスクリームとふたつのケーキと急いでコーヒーで流し込んだにもかかわらず。
 しかし、なぜあの罪悪感が消えたのだろう?この問いに対して、僕は今のところ、「何かに惹かれていたからだ」と答えることにした。ひとが何かに吸い寄せられているという感覚をもつ時、少しだけ自由になり、ものごとを心から愉しめるようになるのではないか、と。
 映画の中のキャロルとテレーズも、ふたりは互いに(何かに)惹かれあっていた。ふたりはこの愛を、心から愉しんでいたことだろう。
 ふたりがいっしょにマティーニを飲むシーンがある。とても素敵なシーンだった。僕は、罪悪感が生じるからという理由でバーで酒を飲むことをやめていたのだが、またマティーニを飲みたいと思った。