Sunday, November 13, 2016

演劇の力

 縁あって、生まれてはじめてお金を払って演劇というものを観た。そこで体験したことは、僕があらかじめ忘れていたことのようだった。
http://www.festival-tokyo.jp
 僕は他人のことが怖い。他人は何を考えているかわからないし、そのことが怖い。これはどうしようもない。他人は本当は怖くなんかないとわかってはいてもだ。たぶん、どういうわけか、予期せぬ未来を現実として受け入れられないようになっている。それが他人に対する恐怖になるのだ。
 それを乗り越えるには、たしかに他人は怖くない、という確固たる感覚が必要で、その礎となるものが、たぶん対話なんだろうと思う。僕は対話を恐れた。だから、他人は自分にとっての完全な異物となったのだ。
 もちろん、恐怖に立ち向かっていくことも大事だ。でも、ひとりで立ち向かうには、その壁はあまりにも高い。その壁を低くはしないが、ともに立ち向かう共闘感を僕らに少しでも与えるようなものが、たしかにあるし、それがたまたま今回の演劇だったのだと思う。
 印象に残ったのは、終演後のトークでも語られていた、「物語によって共感を生むことの大切さ」だ。ひととひととが相互に対立していても、物語によって、それぞれのひとの人間性を感じることができる。物語とは、人生そのものの縮図であり、だからこそ、ひとの豊かな想像力をかき立てる。他人に開かれるとはこういうことなんだ、という糸口のようなものを示してもらえた。そして、僕もこんなふうに、他人に向かって声をあげたい、それは何か主張などでなくても、何かはたらきかけたい、そんな欲求が芽生えた。芽生えたというか、眠っていた、自分で抑えていたものが目覚めさせられたと言うべきか。
 演出のジョーさんは、「ひととひととが相互に対立しあう、そのことが人間的だ」と言っていた。他人は何を考えているかわからない。わからないからこそ他人だ。それは一見当たり前のことだが、本当は当たり前ではない。私はあなたとは違うということ、演劇はそのことを生き生きと肯定しているように思えて、嬉しくなった。