最果タヒさんは僕と歳も近いし、インターネットを通じて積極的に自作を発表されているから、なんとなく親近感が湧いていた。彼女のことをブログで知って以来、ずっとブログの愛読者だった。http://tahi.hatenablog.com
そしてそのブログが『きみの言い訳は最高の芸術』という本になるというので早速読んでみたのだ。
そしてそのブログが『きみの言い訳は最高の芸術』という本になるというので早速読んでみたのだ。
僕がひとの文章を読むときにまず見てしてしまうのは段落や改行の処理の仕方だ。なぜかというと、それによって文章でかたちづくられる絵が決まるからだ。言葉とは伝達内容であるだけではなくて、絵でもあると、僕はつねづね思っている。改行が多ければ詩のように余白が増えるし、少なければ印象派の絵画のように言葉で埋め尽くされる。タヒさんの文章は改行が少なくて、いつも細密画をみているときのような気分で読んでいた。特にブログでは、ブログの書式なのかご本人の主義なのか案外意識していないのかそこはよくわからないのだが、段落の最初の一字を開けずに書かれていたので、タヒさんの言葉がスクリーン一面に広がるような印象だった。そして横書き、縦スクロールの独特の臨場感があった。
一方で、本ではそれが縦書きになり、段落の最初の一字も空けられていた。(まあ本だから当然なんですけど。)このことによって、ブログで読んだときみたいなどんどんどんどん言葉に埋もれていく臨場感よりも、なにかこう、呼吸を感じることができたというか、落ち着いて読むことができた。音楽で言えば、ブログがライブで本がスタジオ録音といったところだろうか。また、本ではとんぼせんせいの色鮮やかな表紙のイメージが強く、ブログで読んだときのモノクロームなイメージとはかけはなれていたのも、おもしろかった。言葉もいろいろなイメージに適応するのだね。
タヒさんの言葉がいろいろなイメージに適応するのも、それが単に言葉だからだと思う。彼女は、ひとがだれかに完全に理解されるということは決してない、という一本の芯に貫かれていて、そしてだからこそ言葉があるし彼女は言葉を書いているんだ、というただそれだけのことなのだけど、ただそれだけのことだからそれは輝かしいのだなあと思う。彼女の言葉はあるときは詩であり、あるときはブログであり、そしてまたあるときにはエッセイであり。何にでもなりうるし、何でもない。それはただの言葉だ。彼女はそういう言葉を書く詩人だと思う。