Sunday, January 15, 2017

『ラスコー展』感想


 上野の東京国立科学博物館で開催されている『世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画』に行ってきた。
 写真は、クロマニョン人が残した洞窟壁画のなかでも、最も有名な壁画のひとつである。バタイユはこの壁画について、われわれ現代人の到達できないところのひとつの謎、そして、死に結びついたエロティシズムを見いだした。
 野牛からの、内臓をなくしつつ死に瀕している怪物からの、この勃起している死んだ男が殺したらしい一種のミノタウロスからの近さ。
 おそらく、これほど喜劇的な恐怖感で重苦しく、しかも概して理解不可能な図像は、世界中、ほかにないであろう。
 それは、時代の黎明期に現われる滑稽な残虐さを伴った手に負えない謎なのである。この謎は、まさに、それを解くことが問題なのではない。けれども、それを解く手段がわれわれに欠如しているということが事実であるにせよ、われわれは逃げるわけにはいかない。いかにも、その謎は理解不可能ではあるが、少なくとも、それは、われわれに、その深みにおいて生きることを提案する。
 それは、人間的に提起される最初の謎なのであって、エロティシズムと死によってわれわれの中に口を開く深淵の底に降りることをわれわれに要求するのだ。(『エロスの涙』森本和夫訳、ちくま学芸文庫、2001、p.66)
 この壁画は、われわれにひとつの「謎」を提起したのであるが 、しかしバタイユはまた、それが「謎」であるというまさにそのことによって、ラスコーの壁画とわれわれ現代人とのあいだに、たしかな交流があると考えていたのだと思う。われわれは、古代人がどのような意図で壁画を描いたかということを、もはや完全に知ることはできない。しかし他方で、これらの重大な「謎」の数々が、われわれにエロティシズムを喚起するということは、まぎれもない事実であるのだ。
 僕はこれらの壁画を見ながら、古代人の息吹のようなもの、そして、古代人がたしかに生きていた(いや、今まさに生きている!)ということの衝撃を感じていた。自分の実存的な葛藤など、もはや問題にならないかのような……。