Saturday, January 14, 2017

〈私〉の存在の予兆

 印象派の絵画とは、世界の志向性があらかじめはぎとられた瞬間の描写だといえるかもしれない。僕は子どものころ、そのように世界を見ていた記憶がたしかにある。僕は母親に「目の前にたくさんの〈点〉が見える?」ときいた。僕は、目の前にある世界を、区画的に分解していたのではなく、限りなく小さい単位である〈点〉の集合として見ていた。僕が母親にこのようにきいたのは、自分の見え方と母親と見え方とが一致するかどうかをたしかめるためだった。しかし、僕はまだ子どもであり、自分の真に言いたいことを説明し尽くす言語的能力に欠けていたから、母親にこの質問の真意は理解されなかったのだと思う。母親は「そんなものはない」と答えた。しかしそのときの僕は、「母親がこの質問の意味を理解しないならば、母親は自分とは違った仕方で世界を見ている」と判断した。このできごと以来僕は、他人と自分はたしかに違うという意味においての〈私〉の存在の予兆に貫かれたのである。