Friday, September 23, 2016

シューマンの幻想曲

 またクラシック音楽を楽しめるようになってきた。そのきっかけになった曲がシューマンの幻想曲である。僕はこの曲がたまらなく好きになった。そして端的にこの曲の魅力を誰かに伝えたいという思いがある。
 音楽理論を勉強している真っ最中だった一年前、この曲を弾いていた。その時も、僕はたしかにシューマンが好きだったし、弾いていて楽しいと感じていたことを記憶している。だが、僕はこの曲の意味がわからないでいた。というのも、この幻想曲は曲の展開の仕方が非常に自由であるからだ。その自由さのなかに秩序を見出そうとしていた。なぜここはこうなっているのか。なぜこのように弾かなければならないか。なぜ…?
 すると先生はこう言った。

「だってシューマンだもの」

 このひとことで、先生は僕よりもシューマンを理解していたと感じた。たしかに、先生は僕に比べ、分析的な理解はしていなかったかもしれない。しかし、曲の意味を感じとっていたのだ。これが、僕がいくらアナリーゼをしてもわからなかった理由だ。
 この曲の(とりわけ第一楽章の)魅力は展開の自由さにあると思う。つまり、これが形式として幻想曲であることによる自由さではなくて、シューマンであることの自由さである。曲のいたるところに瞬間的な激情の噴出や不条理があり、そこに秩序を見出すことは難しい。あるとすればそれは、シューマンのなかにあるのだ。 なぜここにこのパッセージが置かれるのかという問いは、シューマンにしか答えられない問いであろう。