僕は理屈でものごとを考えるタイプだ。これはカウンセリングなどで誰かと話をすることで、だんだんとわかってきたことだ。そしてどうやら僕は、理屈でものごとを考えることは悪いことなのではないか、と考えているらしい。なぜか、感情よりも言葉や論理にとらわれることを悪いことだと考えているらしいのだ。
これまで僕は、現実世界には「よいこと」とか「悪いこと」があらかじめ存在していると思っていて、「悪いこと」に自分が当てはまっていないかと不安になっていた。そして、理屈でものごとを考えることは「悪いこと」に該当するのではないかと考えてしまっていた。おそらく、感覚的であることは「直感的な行動」に結びつくと安易に考えていたのだと思う。だいたい、この論理は「論理的」ではない。論理が行動に結びつくことだってありうるからだ。たとえこの論理を認めたとしても、理屈でものごとを考えてしまうのは僕の性格だ。そしてその性格は今まで治らなかった。であるから、それを治そうとすることは、端的に自己否定だ。
以前は、理屈っぽさはあるが一本筋が通っているわけではないという自分がいやで、Facebookなどを通して積極的に人と会っていた時期もある。しかしそのときの自分は、理屈っぽくて融通のきかない自分を否定するために行動していたから、全く満たされていなかった。自分を殺していたのだ。
自分の性格を善悪に結びつけることは、必ず罪悪感や自己否定感を生み出し、 行動はそれを打ち消すための手段にしかなりえない。善悪を考えるのは本当に最後の最後でいいのではないかな。僕は僕なのだから。Je suis comme je suis.
(フランス語のJe suis comme je suis.て言い回しがなんか好き。日本語よりも響きが柔らかな感じが。プレヴェールの詩で覚えた。なんかいいよね。)

Je suis comme je suis.