杉田俊介氏の『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』を読んだ。男が自身の「弱さ」を語ることに対しては、様々な方面からの批判があることだろう。いや、まさにこのような怖れを抱いてしまうことのうちに、男性の「弱さ」があるのかもしれない。そういう意味で、どこかきなくささを帯びた本である。しかしこの本は、まさにこのような(僕のような)男の「実存」に向かって語りかけているように思えた。自分と同じような「弱さ」を抱えたひとがいるという驚きと嬉しさを感じた一方で、自分の鏡像を見ているかのように思えてその文章に自己嫌悪を投影してしまうかのような、複雑な心情になった。
自分が確固たるマジョリティであるがゆえに弱さを語ることができないということの根深さ。これはとてもよくわかる。ひとはみな当事者でありうる。そうだろう。理念としてはわかる。しかし、当事者であることにいつまでも懐疑的であり、当事者と非当事者の狭間で揺れ動き、振り回され、自問自答し続ける、男であることの当事者性とは、まさにこのようなことではないだろうか。僕はいつもいつも「辛い、苦しい、寂しい」と自分の弱さを口に出して良いのかと、自問自答してしまう。自分が当事者であってよいのか、自分にはその資格が無いのではないか、と。これがまさに「僕の」当事者性である。著者は、僕の当事者性を救い出してくれたように思う。これを尊重しても良いのかもしれない、許されるのかもしれない、と、少しだけ思えた。