カルチャーセンターでバタイユの講義を受けた。今回は2回目。楽しくて楽しくて仕方がなかった。僕は彼女といる時以外は、常に何かにとらわれていて、自分はものごとを楽しんでよいのだろうかと疑い、楽しむことに負い目を感じていた。でも今回はその感情が消えていた。内容がおもしろかったのはもちろんだが、むしろそれよりも、先生の生き生きした姿、楽しそうに話す様子、受講生の真剣なまなざし、そういったすべてが、僕をとらわれから解放してくれた。純粋な知的好奇心が芽生えた。バタイユのいう「交流(コミュニカシオン)」が、小さな交流が、あの場所で生じていたのかもしれない。
一年ほど前から僕はずっと葛藤していたように思う。自分とASD、自分と言語の関係を考えることに埋没していった。必ずしも生産的な思考ではなかった。自分はこんなことをしていて良いのかと焦り、不安に駆られ続けていた。しかし、それは無駄なことではなかったと、思えるようになってきた。言葉でものごとを考える楽しさを感じているからだ。今は、以前よりも自分の知的好奇心に納得している。大切なことは、自分が楽しみ、生き生きとしているかどうかだ。そのことを、先生に体験を通して教えられたように思う。その姿は、権威などとはほど遠いものであった。とことん無力(アンピュイサンス)であり、まるで子どものようであった。